朝から曇りがちだった空が遂に雨雲にかわったようで、午後にはポツリポツリと降り出して
しまった。
「あーあ、せっかく任務早目に終わったのにな〜」
呟きながら傘をさして帰宅する途中。
突然稲光が走る。見上げると空がいつの間にか黒い雲で覆われていた。
咄嗟に辺りを見回し、庇のある軒先へ避難する。
途端にバケツをひっくり返したような雨。
「うわー、危機一髪じゃない」
傘をたたんで一息つく。
足元にまで跳ね返ってくる酷い雨脚に思わず壁まで後ずさる。
そこでふと、人の気配がして。
「いの?」
「へ?シカマル?」
聞きなれた声の方へ顔を向ければ隣の家の軒先に見覚えのある姿。
「どうしたんだよ」
「そっちこそ」
奇妙な偶然ってヤツである。
「とりあえずそっちの方が庇広そうだからうつるわ」
「ヘイヘイ」
相変わらずのやる気のない返事と共に少し場所を譲られる。
「通り雨っぽいけど凄ぇ雨だな」
「そうねー。あっちの軒先だと足元濡れるのよ」
「ああ、成程」
私がさっきまでいた方を眺めてシカマルが納得したような顔をした。
「もう、折角任務が早く終わったのにこれだもの」
「まあ濡れなくてよかったじゃないか。っていうかお前傘もってんじゃねーか」
言った途端稲光が走る。
「……」
「………」
「…まあ、そうだな。傘さしても濡れそうだしな」
強い私の視線に耐えられなくなったのか目をそらしたシカマルに笑う。
別に雷が怖いわけじゃないけど、こんな土砂降りの中で呑気に帰れないっての。
そういう事が分からないこの朴念仁は、覇気のない猫背のままぼんやりと軒下から見上げ
るいつもと違った狭い空をどう思っているやら。
まったく、変わらないわねぇとひとつ溜息をついて。
ふと、こんな天気とは無縁そうな親友とその班員を思い出した。
「あんたはいっつも上ばっかりみてるわねぇ」
「何だよ突然」
「突然っていうか、いつも思ってたんだけど」
「そうかよ」
互いに若干呆れたような諦めたような、そんな口調。
今更互いに遠慮もないかなって若干おざなりな言動。幼馴染で同期で元同班であることが
当たり前のような気がしていたのに、それが実はちょっと貴重かも知れないと気付いたのは
最近。伝えたい事は言っておかなければならない、そんな仕事に就いているのだと改めて
思い知ったのも。
降りしきる雨にあの日の事がふとよぎる。あの時はもっと優しくて残酷な雨だったけれど。
「いっつもナルトみたいなヤツに向かって凄いって言うじゃない」
「んあ?いきなり何の話だよ」
おもむろにしかも互いに不躾なのもどうなのかしらねって考えないでもないけれど、本当に
今更よね。
「自分に出来ないような事が出来る人に向かって、純粋に凄いって言えるのだってたいした
ものじゃないかって思うのよ」
「はあ?」
「だってアンタの場合、ほとんどの場合実際にそう思ってるでしょ」
「あー、まあそりゃあ…」
「でも人ってそんなに単純じゃあないでしょ。凄いって言ってる言葉の裏には尊敬とかだけ
じゃなくて妬みとか蔑みとか、色々と混じるじゃない。そーゆーのが少ないらか大したモン
なんじゃないのって言ってるの」
「俺はそんなに清廉潔白なヤツじゃねーよ」
「わかってるわよ」
そこで即答もどうなんだよって苦笑される。今日は私、気を使う気はないから容赦ないわ
よと返すといつもじゃねーかと更に苦笑で返される。
「まー、とにかくアンタは他の人に比べてそういうのが薄いって事。でもあんたの場合は代
わりに『自分に出来ないから凄い』っていう尊敬とかよりも『自分がやりたくないことを出来
るから凄い』って要素が多いでしょ。しかも凄いけど自分ではやりたくないみたいな」
だからあんまり褒められたことでもないのよねーというとうっせ、と短く返事がかえってきた
のは自覚があるんだろう。ほぼ間違いなく図星。
「あんたのその面倒臭がりはね、やりたくない事について具体的に考えれちゃうから余計
に難儀なのよ」
「……」
多分私の言いたい事はわかっているだろうに未だ無言の隣。そして追い打ち。
「例えばの話。ナルトが火影になりたいって言うじゃない」
「ああ」
「昔ならともかく、今のあいつなら本当に火影になれるんじゃないかって、そりゃ私だって
思うわよ。それできっとアイツが木の葉を変えていくんじゃないかってそう考えたりしない
でもないわ。だけどねじゃあ、あいつが火影になって実際なにが出来るのって事よ」
「あ?」
間抜け面で口を開けない、と一応注意してやる。そういやこいつのこんな顔も久々に見る
かも知れない。
「あんたは間違っても自分から火影になりたいってタイプじゃないでしょ」
「まあな」
「でも、実際火影になれたとしたらその職務はある程度理解できるし、何か変えたいと思
えば、それをするにはどう動いて何をすればいいかって予想つくでしょ」
「………」
「別にナルトが悪いって言ってる訳じゃないわよ。あいつはアイツでやたらと変な人徳とか
人脈とか持ってるから実際火影になればきっと面白いとは思うわ。変えたいというアイツ
の力になってくれる人達と一緒に変えていけばいいんだし。当然、そう思わせる器も火影
のような役職には必要なんでしょうけど」
「…そこでさっきの話に戻る訳か」
諦めたようにいうシカマルに頷く。シカマルは誤魔化すように首の後ろをわしわしとかいて
小さく溜息。
「火影の話で言うなら、やっぱりなりたいってそう言える奴がやればいいと思うぜ。あんな
面倒なものやりたいって思う奴の方が向いてる確率が高ぇし。そりゃ勿論、言えば誰でも
なれるモンじゃねーし、そもそもそいつに器がなければ無理だろうけど」
少し息を置いて。
「本気であの重圧に立ち向かおうとしてんなら、それを口に出来るヤツの方が覚悟が出来
てると思わねーか」
「でも正直あいつがどこまで覚悟あるのかは謎だけどね〜」
多分、ナルトは赦しすぎる。
「…それでも、アイツにかけてみたいって考えさせれるんだからいいんじゃねーの」
「もう、そうじゃないでしょ」
故意なのか無意識なのかよくわからないけど脱線しかけた話を無理やり戻す。
「正直ね、ナルトみたいなタイプの人間って思い込んだら凄いけどそのかわり見えてなかっ
たり見落としがちな事もあると思うの」
たたんだ傘の先でトンと地面をつつく。
彼をああいう世界においてしまったのは私達里の人間のせいだけれど、いつの間にか一足
飛びで成長してしまったナルトはきっと漠然とした想いしか知らない。努力することは当然
知っているけれど、どんなに努力しても実らない者達がどうやって生きているか。彼の世界
は極端過ぎた。
「だけどあんただから出来ることだって、気が付けることだってあるわ。」
いくら凄くたって私たちに大きすぎるモノが見えないように、小さくて見落とされるモノだって
きっとある。
『普通』ってことに気付けるのも大事なこと。コイツの頭はあんまり普通じゃないらしいけど。
まあ中身がコレだしね。
「それはお前もな」
「ええ、そうね」
そこでふっと息を吐いて。
「大丈夫よ、別にアンタに火影になれって言ってる訳じゃないんだから」
バシリと肩を叩いてやると大げさに痛いと呻かれる。
「はぁ〜、めんどくせぇなあ」
「ま、そういう見方もあるってことよ。大体アンタは自分の柄じゃないとか自分で自分の枠を
決めすぎなのよ」
「そうはいってもなぁ」
いつまでたっても期待されることにも慣れない不器用なヤツ。
「もう、しっかりしなさいよ!」
再びバシリと肩を叩けば逆に肩を落とされる。
「だから痛ぇっつの」
「あ、雨やんできた」
「聞けよ!」
幼馴染の言葉をサラリ聞き流し、空を見上げると既に明るくなってきていた。
すっかり話し込んでた間に雨雲は去って行ったみたい。
「じゃ、私は帰るわねー。お先!」
「いの、お前言いたいことだけ言って帰る気か」
「当たり前じゃない」
キッパリと最後まで遠慮なく言ってやるとちょっとシカマルは驚いた顔をした後、若干呆れ顔
でだるそうに言う。
「へいへい、そーですか。じゃあ気を付けて帰れよ」
やる気ない言葉の割に、その表情は明るい。顔色も少し良くなった。最初にここで見かけた
時は酷い様子だったから。
ふう、と両肩の力を抜いて一歩踏み出して空を見上げたシカマルが。
「いの、ありがとな」
その言葉だけで私は十分。
「どういたしまして。お礼を期待しとくわ」
「ヘイヘイ」
「それじゃあね」
「おう」
短い言葉をかわして今度こそ立ち去る。
軽く右手を挙げたものの、未だ振り向かず動かないシカマルを置いて。
何があったかは知らないけれど。
再び傘をさして歩き出す。人がいないのをいいことに子供のようにくるくると傘をまわして。
「早く雨が止むといいわね」
きっと完全に雨がやむまで動かないであろう幼馴染を想ってそう呟いた。