見覚えのある特徴的な後姿。
「シカクさん」
よお、と振り向いた奈良シカクは一見強面でその肩書きと共に貫録がある人の筈なのに身に纏う
空気はやや飄々とした掴みどころのない人物だ。
「おお、カカシ」
何を考えているかわからないという奴もいるが上忍班長という彼の立場的にはいっそ、そう思わ
れた方が都合がいいのだろう。
いくつかの伝達事項と少しの世間話を交わしているとちょっと思い出したかのように気軽に言わ
れた。
「愚息が世話をかけたな」
話の流れでそのままやり過ごせる見事なタイミングだった。
「…貴方でも」
ちょっと意外でつい口にした。
最近では曖昧になりつつある輩が多いこの世界で、公私を比較的キッチリ分けているこの人が珍
しい。
すると自覚があったのか口元に苦い笑い。
「まあ一応父親だからな」
シカマルに関して時折任務が一緒になったりナルト関連で騒動があったとしても、そのことに関し
て特別何か言われるような事はないだろう。しかも親として礼を言われる程の事といえばやはり
あの時。
「結局はお前や増援がなければあいつ等は死んでいただろうからな」
こちらの思考のタイミングを見計らって何事もなかったような口調で言うのは軍師としての冷静な
感想なのか。
きっと息子を完全に信じるにはこの人は頭が良過ぎた。
それでも、止めなかった。シカマルもこの人が居ないところを見計らって準備したのだろうが、息
子のやろうとしていた事など当然見抜いていただろうに。
火影様でさえ静止した無謀にも見えたあの挑戦を…死ぬかもしれないと分かっていて止めずに
いたのはどんな心持ちだったのだろう。勇気や信頼とは違う気がする。
かといってこうしてわざわざ礼をいうくらいなので家族としての情も普通にあるようだし、不可思議
な親子だ。
「甘いんだか厳しいんだかよくわかりませんね」
「まあ一人前には程遠いガキを身内にもつと色々大変なのさ」
「よく言いますね」
まあこの人からしてみれば当然なのかもしれないけれど。
「貴方から見ればシカマルはまだまだなんでしょうけど、頑張ってる方なんじゃないですか」
「ふん、それこそ甘いよ」
サラリと切って捨てる。父親としては苦笑で済んでも上忍班長としての答えはさっきより厳しい。
「甘いですか」
こっちが思わず苦笑する。
「あいつがこれから参謀的な役割を担うことになるとしたら尚更な」
そう言ってこちらを見て目を細めるシカクさんに思わず目を見張る。
「英雄のようなカリスマを持つものは強い。だか、それを支えてゆくにはどうしても別の役割を持た
なければならないだろうな」
一旦言葉を切ったシカクさんの表情は冷静だ。
「ナルトのような頭≠ヘひとつでいい」
何を言いたいのか、少しわかった気がする。
「不思議な事にナルトのまわりには奴を含めくそ甘い連中が揃ってるからな。それがアイツの良
さでもあり人徳でもあろうが、近くにいつも火影様やお前が居れる訳じゃない。そうなれば誰かが
現実を見せてやらないといけなくなる」
「はい」
「それを踏まえて答えを出すか出さないかで後からの惨状が違ってくるからな」
「惨状って言わないで下さいよ、縁起でもない」
ハハハーと軽く笑ってみるが、現状その役割を担うことになるのはシカマルだろう。この人も理解
しているだろうに。
少し溜息をついてそろりとシカクさんを窺うが涼しい顔だ。
「損な役回りになりますね」
「参謀役ってのはそういうものだ」
「甘いからこそできる判断もあるかもしれませんよ」
「それは基準にするのではなく、選択肢の中にあればいい」
軍師としての顔で冷静に突き放す。
「人の上に立つということは、いついかなる時も毅然とした冷静な態度でいなければならない。動
揺を見せれば下が不安になり混乱するからな。そして時に冷酷な判断を下さなければならない。
それが出来なければ危険も増す」
「………」
「判断を誤れば死ぬだけだ。アイツか、仲間が」
「…厳しいですね」
「忍びだからな」
厳しいけれどそれは高みまで登ってこい、というこの人なりのエールなのだろう。実の息子だから
こそあえてこうした態度で。
「まあ少し安心しました。上忍としての貴方もシカマルには期待してるって事みたいですから」
そう言うとさっきまでの表情が少し崩れた。
「…どうかな」
「ま、これからの未来の為にうっかり死なせないようフォローしますよ。そうすれば将来ラクさせて
もらえそうですし」
「お前も大概じゃないか」
「いやあシカクさん程では」
ヘラリと笑って先程までの重い空気を取り払う。
「俺、思うんですけど」
「うん?」
「あの子は意外と小狡いトコがあって」
「ほう」
シカクさんが興味ありそうに顎に手をやり笑う。
「シカマルは貴方や他の戦略担当、軍師と呼ばれる方々に比べて明らかに経験不足です」
「まあどれだけ書物を読んだところで知識と実戦は違うからな」
「その割にいざ現場に立っても冷静に判断できるのは本来の性格なのか、あなたの血なのかわか
りませんが」
「…まあ肝心の頭脳がパニックになっていたら話にならんからな」
先程とは違い、話に茶々を入れてくるシカクさん。こちらの空気に合わせてくれているのだろう。
「結構いるんですよね〜。戦いを実際目にするまで現実を理解出来ない、役に立たない頭でっか
ちな子。シカクさんだって見てきたでしょう」
「ははは」
軽く笑うが否定はしない。
「まあそうなってないだけでも中忍になりたてなら及第点ですが、シカマルの嫌なトコは」
一度言葉を切ってシカクさんを見る。顎を撫でつつ素直に次の言葉を待つシカクさんは少し親の顔
をしている気がした。
「貴方や先輩方ような経験値からくる推測をカンで補ってしまうんですよね」
まったく、といって肩を竦める。
「カン?」
「そう、勘です。正確には分析に由来した勘って感じみたいですけど。嫌な勘が当たったとか言われ
るとほんっと、誰に似たんだかって思いますよ〜」
ジロリとシカクさんを見れば視線を反らされた。思ったより大人気ない。
「でもそれって事態は既に想定済で、それに対して何かしら考えてるって事じゃないですか。味方の
采配としてこれ以上はないですよね」
面倒そうに眉を顰めたシカマルを思い出す。
「買いかぶりだな。そんなの口でどうとでも言える。しかも仮にそれが想定できていたとしても、アイ
ツの頭で解決できるとは限らないぞ」
顎を撫でいた手が止まったシカクさんは遂に父親の顔になった。
「それでも一番若いのがパニクらないだけでも戦略的に全然違いますよ。それに」
少し、懐かしい人を思い出した。
「その最悪の事態になっても諦めず策を模索し続けることが出来るのはもっと凄い事だと思います。
シカマルやナルト、あの子達の諦めない折れない心は貴重です」
…ナルトは本当に色々苦労はあったけれど、いい仲間に恵まれた。その重要な一端であるシカマル
とその父親。
「俺がこんな事を言うのは変ですが、シカマルをああいう風に育ててくれてありがとうございました」
「お前はナルトの監視役だったな」
「…ハイ」
「そうか…」
シカクさんも軽く息を吐いた。
「ナルトはあの二人そっくりだな」
「…ええ」
「ふん、うちのボンクラにやる気を出させた位だ。こっちが礼を言わないといけないさ」
ポン、と軽く肩を叩かれてふと気づく。
年上の忍びとこうして語らったのはいつ振りだろう。父親の事もあってそういえば余りそんな機会は
なかった気がする。三代目が亡くなってからは特に。
「いつか貴方とゆっくり酒でも飲みたいですね」
「おお、俺はいつでも構わないぞ。時間が空いたら連絡してこい」
「楽しみにしてます」
じゃあ、と約束を交わしてお互い歩き出す。
ふと振り返りシカクさんの背中を眺める。
シカマルと違ってポケットに手を突っ込んでる訳でも猫背な訳でもないのに何だかだるそうな雰囲
気が伝わってきて少し笑った。
あの人は戦場で息子を見捨てる事が出来る恐ろしい人かもしれない。でもきっとそうならないよう、
身を削ってでも助けようと策を練る強い人だ。最悪の事態を覚悟した上でそうならないよう、それこ
そ天才と呼ばれたその能力全てを賭けて。
角を曲がった後姿を思いながらその強靭な心を少し羨ましいと思った。