暖かい、家族と同じ家にいるのにまるで世界に一人きりのようなこんな寒い夜は。
「イノちゃんどこ行くの?」
「すぐ戻るわ」
「上着くらい着ていきなさい」
背中にかけられた親の声を聞こえない振りで飛び出す。
今の顔を見られたくなかったから。
昔遊んだ近くの小さな空地には、未だ復興用の資材などが残っている。
ぼんやりとそれを見上げて。
「私、何してるんだろう…」
こんな時だからこそって花屋を再開させた両親。
任務と店の手伝いと家事。バタバタとした毎日がいつの間にか当たり前になってきて。
それに夢中だった頃には気が付かなかった、置いてけぼりにされていた心が今頃になって不安と
一緒に蘇ってきた。
ブルリと寒さに震える。
「イノ」
突然声をかけられて思わず振り返る。
「誰?!」
「何してんだ、こんなトコで」
空地の入り口にシカマルが立っていた。
私の顔をみてちょっと眉を顰めるけど、こちらの様子を窺っているのかそのまま何も言わない。
右手にはビニール袋を下げていて一升瓶のような物が覗いている。ヨシノさんのお使いの帰り
なのか貰い物なのか知らないけど、その日常の…普通の様子にさっきまでもやもやしてた気持
ちが再び揺らぎ返してきた。
「お酒?平和なものね」
我ながら棘のある言い方になったけれど止められなかった。だけど言われたシカマルは相変わ
らず眉間に皺を寄せたまま怒りもせずにこちらに向かって歩いて来た。
「ま、平和っちゃ平和だぜ」
差し出された袋を見れば見覚えのある印。
「小父様の好きな刺身醤油…」
小さい頃、シカマルの家に行った時に『親父がここの刺身醤油が好きなんだよ』って言ってた
のを覚えている。
濃いのにちょっと甘くておいしいって言ったらイノちゃん味がわかるなって小父様が嬉しそうに
笑って頭を撫でてくれた。
「…で、お前は帰らないのか」
「……」
無言になった私を責めるでもなく、ただ一つため息が漏れた。
温度とは違う寒さにどちらともなく身を縮める。
「さみーな」
「そうね」
視線は合わない。
合わせられない、それぞれの理由で。
私は、こんな自分を見られたくなくて。シカマルは…多分何て声をかけていいかわからなくて。
いっそ私なんて放り出して帰ってくれればいいのに。
吐く息は白い。
きっとどんなに酷い言葉を投げつけても、今のコイツは立ち去ったりしないんだろうな。長い付
き合いだからわかるお互いの様子に諦めてようやく重い口を開く。
「イヤなの」
顔も上げられなくて視線は足元のまま。
「悲しくて泣いてる自分が。でも、もっと嫌なのはこうやって何もできなくて訳のわからない不
安に怯えて泣いてるだけの今の自分なの」
堪えきれずこぼれた涙。
誰かを思い出して泣いて。
力不足に泣いて。
どうすることもできず思い通りにならない現実に泣いて。
そんな甘ったれた子供みたいな自分がたまらなく嫌で。
勿論昔よりはずっと強くなった。心も、体も。
以前以上に努力もしたし、それなりに実力もついてようやく周囲にも認めてもらえだして。
でも何かの拍子に突然不安になる。
「悔しいよ…」
こんな日はどんどん成長していくまわりに取り残された気分になってしまう。
どうしてこんな日に偶然逢ってしまったんだろう。
気の利かないコイツはこんな時優しい言葉をかけてくれる相手じゃない。
今だって困った様にただ黙って立ってるだけ。
…でも落ち着くまで側にいてくれる。
いつだって。
お互いちょっとそこまでってつもりで出てきただけだから上着もマフラーも持ってなくて。
ポケットに手を入れていつも以上に猫背で佇んでるコイツと肩を抱きしめて震えるだけの私。

「たとえお前が自分を信じられなくても」
ポツリと聞こえてきた声。
「俺がお前を信じてる。お前が望む自分になれることを俺等は信じてる」
「…馬鹿じゃないの」
さっきのとは違う、今度は暖かい涙がこぼれてきた。
「シカマルの癖に何ちょっとカッコイイ事言ってんのよ」
力なく反論する。
「うっせぇよ、帰るぞ」
そのまま黙って手首をつかまれて一緒に歩き出す。
コイツはいつもそう。
小さい頃から最初に先頭切って歩くのは私。
でも途中で本当に迷子になって途方に暮れて泣きそうになるとチョウジが自分だって不安な
癖に優しい笑顔で大丈夫だよって笑ってくれる。その間に周りを見回してじっと黙り込んで
たコイツがこうやって手をひいて歩きだす。
そうしたらいつの間にか見覚えのある道に出たり、人が居るところに出たりするのだ。
私が不安そうにしている時は不愛想な声で来るときあの建物がこっち側に見えたとか、太陽
の傾きがこれくらいだから今何時だとかその時の私にはよく分からない小難しい事をボソボソ
説明してくれたっけ。
あの頃と変わらない不器用な優しさ。
クスリと笑いが漏れた。
「何だよ」
「アンタ変わらないわね」
「放っとけ」
それでも手を振り払わず、ゆっくりとしたペースで歩く。
家がもうすぐ見えてくる距離だ。
「…シカマル」
ねえ、アスマ先生。
うちの班のやつらは顔がいいわけでもないし、里の英雄でもないし、アカデミーの成績が良かっ
たわけでもないけれど。
いつもは頼りないけどいざって時はちょっとだけ頼りになる先生と私の自慢の仲間です。
「…ありがとね」
「おう」
静かに手が離された。
いつも真っ先に駆け出すのは私の役目。だから今日も。
「じゃあまたね!」
返事も聞かず振り返らずに走り出した。帰り道は同じ方向なのにシカマルはまだ留まったまま。
微かに溜息の後に優しい気配を感じた気がした。
それがまるで無言のエールのようで。
(アンタが信じてくれる私に早くなれますように)
それを願いでなく、目標にする為に私はまず一歩踏み出しはじめるんだ。